すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。
しかし、この知識をすべての人が持っているのではない。ある人々は、偶像についての、これまでの習慣上、偶像への供え物として、それを食べるが、彼らの良心が、弱いために汚されるのである。
神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。
きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。
わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。
だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである。
すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。